ミッツケールちゃんの「みつける よのなか」blog

世の中のいろんなことを考察して深めたいミッツケールちゃんのブログ。本やテレビ、ニュースについて、あちこち寄り道しつつ綴ります。

考察★ハートネットTV「引きこもりの長期高年齢化」

「生きる=働く」社会の閉塞感。 「社会の一員として世の中に何か返す」ぐらいの意識になれば少しは薄まるかもしれない。 福祉支援の充実と同時に、横並びからはずれた人を叩く風潮をどうにかしないと。 引きこもりについてEテレで見て、そんなことを考えました。内容と感想・考察を書いてみます。

4/24(火)20:00~20:30 Eテレ

障害や病のある人、「生きづらさ」を抱えている人、支える家族や共感する人たち、さらには社会を変えたいと願うすべての人たちの、今を知らせる福祉情報番組。


目次

8050問題

 1980~90年ごろ若者を中心に社会問題化した引きこもり。 当時の若者が50代、親が80代と、親子ともに高齢化が進み、問題が深刻化しています。今や40代以上が約半数を占めているのだとか。引きこもりの期間が長期化することで社会との溝は深まり続け、高年齢化によって周りの助けなしの生活が厳しくなっていきます。

 アパートの一室で、死後数週間の母娘の遺体が発見されたニュース。娘は10年以上引きこもりの状態で、先に亡くなった母に続いて、栄養失調による衰弱死したそうです。 他に親戚はおらず、地域とのつながりも避けるように暮らしていました。
 周りに家はたくさんあって物理的には街の一部だったけれど、精神的には孤立していたんですね。

 80代の親が、50代の引きこもりの子の生活を支える「8050問題」。長期にわたって社会から孤立することで生活が立ち行かなくなる実態はどのようなものなのでしょうか。

「生きる=働く」が前提の社会

 近所で「何している人?」と聞かれる瞬間を恐れて暮らしている。そんな意見が紹介されていました。
 英語で「What do you do?」とは職業を尋ねる表現ですが、直訳すれば「あなたは何をしているの?」です。
 婚活で知り合った人がどんな人なのかを家族に説明するとき、「優しい人で、」と話し始めることより「銀行で働いている人でね、~」となることが多いですよね。
 「将来の夢は?」という問いへの答えは、だいたい「弁護士」「パン屋さん」「警察官」であって、「面白い映画をたくさん見ること」「庭をきれいにすること」とはなりません。

 生きる=働くという前提が世の中に存在していることが分かります。 純粋に生き抜くこと自体より、周りからの評価や、他人と比べて自分がちゃんとできているかといったことに意識がいく世の中で、「引きこもりなんて恥ずかしい」という発想になるのは当然でしょう。
 きっかけはちょっとしたことでも、何かかでつまずいたときに「働かない自分は駄目な奴だ」という自己否定が頭をずっとめぐっていれば、外に出るのが怖くなりどんどん戻れなくなっていきます。

「みんなと同じことを当たり前に」が破綻した先には

 番組では、引きこもり長期化の根底に、一度社会のレールからはずれると戻れない社会構造があると指摘がありました。 再び仕事を求めても、履歴書が必須であることがほとんど。空白の期間が長ければ長いほど、理由を説明するのが困難に。
 社会の空気に触れる中で徐々に社会復帰したくとも、最初からブランクなしの万全な姿を求められるようでは、元に戻るのは容易なことではありませんよね。 客観視した自分を履歴書や面接で語るという試験が、就労のスタートに来るというのが、現況の一番の問題なのではないかと思います。

 有言実行ってかっこいいけど、それが難しい状況の人だっています。リハビリ作業所みたいな職場があればいいのではないでしょうか。
 大きなところ目指さず、まずは見切り発車で始めて、淡々と働く。頭で考えなくともとにかく手を動かせる環境が、実績を作り自信を作り意欲を生むことになれば、救われる人が増えると思います。

「家族の問題」と言った瞬間に介入できなくなる

 「引きこもりなんて恥ずかしい」。生きる=働く、この世の中において働けなくなったとき、そう考えるのは本人だけではありません。親が「家族の恥」と考えてしまうことも。
 そうなれば、とにかく外から見えなくしようと家の中に引きこもらせてしまう。本人が外で心無い言葉をかけられて傷つかないためにも。

 引きこもってしまうと外からの風が入ってこなくなり、家の中が世界の全てになってしまいます。引きこもりを容認・推奨し、福祉的な支援とも積極的につながらない親と共に、社会から取り残される方向へ突き進んでしまっているのです。

 「家庭の問題はその家庭での中で解決」という暗黙のルールがあります。個人を尊重するからこそ生まれた概念です。でも、そう言ってしまった時点で、経済的なサポートも精神的なサポートも家族だけで抱えてしまうことになる。
 外からの刺激が入ってこないので1年経っても30年経っても、現状打破のきっかけはなかなか訪れにくい。そうして月日を重ねた先には、親子で孤立する未来が見え隠れしています。

少し待つ優しさ

 現況の支援が就労ありきで、働かずに生きるという選択肢も考えたらいいという話がありました。ミッツ・ケールちゃんとしてはこの意見、「短期的には」という条件付きでなら賛成です。
 生きる以上食べていかなきゃいけないし、社会の一員であるからには社会の力にならなければいけない。それはもっともなことで、就労が重要なのはその通りだと思います。

 でも少しの間、足踏みすることを許す寛容な社会であれば。引きこもりやニートと聞いた瞬間、「甘え」だと切って捨てる風潮が薄まればと願います。