ミッツケールちゃんの「みつける よのなか」blog

世の中のいろんなことを考察して深めたいミッツケールちゃんのブログ。本やテレビ、ニュースについて、あちこち寄り道しつつ綴ります。

何者にでもなれる種が、人間の中にはある―書評★某(川上弘美)

某


誰でもない者「某(ぼう)」が、様々な人間に変化して生きていく話。

……と書けばいかにもファンタジーだが本作の核心は、人間の外と内の繋がりの模索という普遍的なところにある。

他人から何者に見えるかといった体の表面に現れる自分の外側と、
一方で、実際は心の内どのような思惑や情動が渦巻いているのかという内面。

誰もが抱える、自分自身という人間の両面性を、ユニークな設定を介して読み手に問いかけてくる。


個性や性格、アイデンティティと一言で言うのは簡単だが、それらには形がなく、
確固たる”自分”をブレずに持ち続けて生き通すことは難しい。

そこで私たちは、
自分で「これが自分らしさだ」と思えるものや
他人から「君ってそういうところあるんだね」と指摘されたもの、
それらを根拠にして自分自身をなだめ、それらが自分のあるべき手本であるかのように、
”自分像”に沿って生きる。


でもそれは、本来は雑多で何でもない人生の一部のエッセンスだけを集めて物語に仕立てるように、いたって作為的な営み。

作中で、ある時期の「某」が、他人の人生の話を聞き取って物語を書く場面がある。

このとき某が考えたことは、本作において著者が伝えたかった主張の一つに思える。


某は出会った人置かれた場所に応じて思考を成熟させ、次々と姿を変えていく。

人間の中に何者にでもなれる種潜在的に収められていて、
環境との組み合わせで、その中からどの”個”を発現するかが決まるとするなら、
私たちの誰もが某であるに違いない。


あなたも、も、すべて器でしかない

たまたま表出した”個”が自分というものになり、愛した相手がたまたま異性だったり同性だったりする。
きっとそれだけのことなのだ。


某


作品紹介

ある日突然この世に現れた某(ぼう)。
人間そっくりの形をしており、男女どちらにでも擬態できる。
お金もなく身分証明もないため、生きていくすべがなく途方にくれるが、病院に入院し治療の一環として人間になりすまし生活することを決める。
絵を描くのが好きな高校一年生の女の子、性欲旺盛な男子高校生、生真面目な教職員と次々と姿を変えていき、「人間」として生きることに少し自信がついた某は、病院を脱走、自立して生きることにする。 大切な人を喪い、愛を知り、そして出会った仲間たち――。
ヘンテコな生き物「某」を通して見えてくるのは、滑稽な人間たちの哀しみと愛おしさ。
人生に幸せを運ぶ破格の長編小説。

幻冬舎 書籍詳細より一部抜粋)


関連作品

著者の川上弘美さんは、25年ほど前に「蛇を踏む」で芥川賞を受賞。
幻想的な世界観の中で繰り広げられる、淡くて鋭い人生論が魅力の作家だ。

蛇を踏む (文春文庫)

蛇を踏む (文春文庫)


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大きな鳥にさらわれないよう

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