ミッツケールちゃんの「みつける よのなか」blog

世の中のいろんなことを考察して深めたいミッツケールちゃんのブログ。本やテレビ、ニュースについて、あちこち寄り道しつつ綴ります。

人間としての”親”を認められる世の中に「そして、バトンは渡された」書評

 家族ってなんだろう。
血がつながっているということ?それだけで楽しいときも苦しいときもやっていけるもの?

 身近な存在だけに、歪な形を見ないふりしてやり過ごしている家庭も存在する。
きっと大切なのは、血のつながりよりも、もっと根本的な相手を尊重する気持ちだ。

 そこに欠かせないのは双方向性。親が子どもを慈しむだけでなく、子どもも親を一人の人間として尊重して初めて、真の絆が育まれるのだろう。

 そんな家族観、はたまた社会の役割までをも、穏やかなまなざしで問いかける物語が、2019年本屋大賞の頂点に選ばれた。

【2019年本屋大賞 大賞】そして、バトンは渡された

【2019年本屋大賞 大賞】そして、バトンは渡された

 親の死別離婚再婚を経て、3人の父2人の母を持つ優子が主人公。
名字も幾度となく変わり、家族の形態は17年間で7回も変わった。

 ……と、設定だけ聞けばどんなにひどい境遇の子どもだろうと思わず憐れんでしまう。

 でも、当人は「全然不幸ではない」と考えている。

 家庭だけでなく学校や近所の人間関係を通して成長していく中で、
    「あなたみたいに親にたくさんの愛情を注がれている人はなかなかいない
とまで他人に言わしめる少女の世界。

 そこには、愛があふれている。

現代のおとぎ話

 本作はおとぎ話のようにやさしい。
次々とバトンタッチしていく親たちがみな本気で優子に向き合ってくれるのだ。

 ある意味で現実味のなさはずっと付きまとう。
一方で、血のつながりがあろうとなかろうと、目の前の他人にこれだけ真摯に向かい合う世の中だったらどれほどいいだろうとも思わせられる。

 合理化を追求しすぎた現代では、自分の得にならないことへの介入を極力減らす方へ向かう流れ、個人主義が進んでいる。
 追い詰められた親が誰にも助けを求められず苦しみ、子どもにしわ寄せがいく事例も多い。

 社会みんなで次世代を担う子どもたちを育てる、というぐらい寛容な世の中になれば、現代の閉塞感も少しは和らぐだろうか。

親だって人間だから

 本作の主人公・優子の前に、入れ代わり立ち代わり親として現れる大人たちは、常識に当てはめれば100点満点の親ではないかもしれない。
 それぞれ人生の壁に突き当たって、自分自身のために一度は愛した子どもの手を放し、次の親へとバトンを渡してしまうのだから。

 それでも、一つ屋根の下で暮らすうちは、それぞれの形で愛情を注ぐ。離別の理由は、親子関係ではなく、あくまで親自身の問題なのだ。

 親だって一人の人間である。已むに已まれぬ人生の壁に直面することだってある。
 そんなときに受け皿になれる社会があれば、親子どちらにとっても幸せな未来に進むことができるはず。本作のあたたかい筆致から、そんなことを考えた。

追い込みすぎない愛情

 実の親子だから、血がつながっているからといって、幸せが確約されているわけではない。

 血を分けた我が子であっても、所詮、他人は他人子どもの全てを理解することは不可能なのだ。
 ずかずかと近づけば近づくほど、相手という人間の本質に到達するどころか離れていくこともある。

 優子と養親たちは、実の親子ではないからこそ常に距離感を測り、相手のことを尊重許容することを意識してきた。

 相手が大事だからこそ本質に迫りすぎず済ますこともある。
時々ぶつかって乗り越えて一歩ずつ本質に近づいていく。人間関係の基本とはそういうものではないか。親子だって、立派な人間関係だ。

 この家族の形には、真の愛で結ばれた人間関係へのヒントが潜んでいるようだ。
 いつでも親を愛し、愛されていた少女の姿に触れることで、読み手の私たちも自分の大切な人をもっと愛おしく思えてくる。

また別の幸せの形

 突拍子もない家族設定は、受賞後第一作の「傑作はまだ」でも健在。
こちらでもじわじわとした幸せを感じ取ることができる。

傑作はまだ

傑作はまだ



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