ミッツケールちゃんの「みつける よのなか」blog

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片付けは人生との対峙だ―書評★姑の遺品整理は、迷惑です(垣谷美雨)

 片付けとは、とにかく厄介なものである。

 心惹かれて購入したものも、時と共に魅力が色褪せていく。
それでも、手に入れた瞬間のことを思えば、捨てる=二度と手にできない決断はなかなかつかない。

 自分の物でも難儀するところだが、他人の物、それも身近な人が亡くなった後の遺品整理となると、その苦しさはまた一段と増す。

 誰もが直面するともいえるこの問題を、ユーモアを交えつつ綴るのが今回紹介する小説だ。

姑の遺品整理は、迷惑です

姑の遺品整理は、迷惑です

様々な人たちの気持ちが絡み合う遺品整理

 独り暮らしの姑が亡くなり、住んでいたマンションを引き払うことになるところから物語はスタートする。
 業者に頼むと高くつくからと、嫁である望登子はなんとか自分で遺品整理をしようとするが、あまりの物の多さに立ちすくむばかり。

 何を隠そう、断捨離を実践する望登子と違い、姑は典型的な「安物買いの銭失い」タイプだったのだ。
天国の姑に毒づきながらも、終わりの見えない片付けに立ち向かい始める。

 実母ではなくの遺品整理というところが、本作のミソ。
嫁の自分から見ればどうでもいいような物でも、実の息子である夫は捨てることを良しとしない。
 その上、近所の一癖二癖あるような変わり者たちも登場し、実家の片付け問題も浮上。

 それぞれの気持ちが錯綜とする中で、望登子は片付けの渦に巻き込まれていく。

物に投影する人間像

 所詮、物は物でしかない。

ところが、亡くなった大切な人が持っていたものだと思えば、情が移って処分に踏み切れなくなる。
 逆に、関係性の良くなかった故人の持ち物であれば、物に罪はなくとも因縁を感じて引き継ぐことに抵抗を感じたりもする。

 私たち人間は、単なる物に持ち主の人間像来歴を投影してしまう。
これがまさに、片付けという単純な処理を困難にさせる所以だろう。

 遺品整理とは一見地味なテーマのように思えるが、厄介とも愛嬌ともいえる人間の性質が、そこには潜んでいる。

 こんまり流が世間の耳目を集め、片付けや断捨離は最近のトレンドともなっている。
 遺品整理といえば、まさに片付けの究極形。

 物は持ち主の生き方の鏡であり、片付けとは言ってしまえば人生との対峙だ。

 故人への思いと物への執着、さまざまな葛藤を、赤裸々な心情変化で読ませる作品「姑の遺品整理は、迷惑です」。
 遺品整理自体からは縁遠い人たちをも惹きつける本作だが、誰しもに共通するテーマが潜んでいることが、人気の秘訣だろう。

片付けから見えてくる人生論

 遺品整理を通して湧き起こる感情が包み隠さず綴られている本作。
序盤では姑への嫌悪感あらわに、実母と比べこき下ろす一面的な批判も目につく。

 しかし、ページが進み、遺品整理も進んでいく中で、姑の生前の人間関係や実家への思いを含ませながら、やがて一つの人生論のようなものに流れ着いていく。

 身も蓋もないタイトルの作品だが、不快感や居た堪れなさは徐々に薄まっていき、最後はあたたかさが残る締めくくりとなっている。
 タイトルを見て身構えた人にこそ、ぜひ安心して手に取ってほしい。

 親だって人間だ。「親というのは死んで初めてどんな人間だったか分かる」。
 生前は自分との関わりでしか測れなかった故人を、丸ごと取り込むまでが真の遺品整理ということを、本作はやさしく教えてくれる。

姑の遺品整理は、迷惑です

姑の遺品整理は、迷惑です

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