いつもの街で、いつもの電車で、知り合いでもないし話をしたことさえないのに、なぜだか気になってしまう。そんな他人に心当たりはないだろうか。
あの人はどんな声をしているんだろう、どんな家に住んで、何をして日々暮らしているんだろう……。
人に言えば悪趣味だと眉を顰められかねないけれど、観察して想像するのをやめられない。
その人に気を取られているうちは、自分の悩み事さえ忘れてしまって、想像の中で別人の人生に寄り添っている。
見る人・見られる人の巧みな描写に引き込まれる小説が、このたび芥川賞を受賞した。
- 作者: 今村夏子
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2019/06/07
- メディア: 単行本
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街の異質な存在「むらさきのスカートの女」
タイトルの通り「むらさきのスカートの女」と影で呼ばれている女性の日々を追った作品だが、物語は、自らを「黄色のカーディガンの女」と称する語り手の目線で進む。
むらさきのスカートの女は見られていることに気付かない。
近所を歩けば、大人からは道をあけて避けられ、子どもたちには罰ゲームの道具として使われたりする。
いや、気が付いていて、無頓着なだけかもしれない。どちらにしても道行く他人に対して、どこまでも無反応なのだ。
そんなむらさきのスカートの女が気になって仕方のない、黄色のカーディガンの女。
自分の行動の理由として、むらさきのスカートの女と「ともだち」になりたいという希望を挙げるが、その執着の根底に潜むものは果たして……?
互いに補色な関係の2人
読み始めるとほどなくして気付いたのが、”むらさき”のスカートと”黄色”のカーディガンは互いに補色だということである。
補色とは、色相環の中で最も真反対に位置する、遠い関係の色のこと。
紫色に対しては黄色が、最も遠くて異なる色なのだ。
言い方を変えれば、補色どうしは、互いを最も目立たせる存在ともいえる。
その前提で読むと、むらさきのスカートの女に対する、黄色のカーディガンの女の執着の強さが、補色の構図を用いることで際立っているようにも思えてくる。
著者・今村夏子の作品には、生きづらさを抱えたどこか普通でない人がたびたび登場する。
少し歪な彼ら彼女らも含んだ世の中の形を、精密にかつ効果的に描こうとして辿りついた演出が、本作の補色で描かれた世界観なのかもしれない。
グラデーションのように反転する世の中
当初、語り手・黄色のカーディガンの女自身の生活についてはほとんど描かれない。
異質な存在として描かれるむらさきとの対比で、"真っ当な人"を自然と想定させられながら物語を読んでいくことになるのだが、その見え方が徐々に逆転していくのだ。まるでグラデーションのように。
むらさきのスカートの女の異質さが目につくうちは気にならなかった、語り手の異質さが、読み進めるほどに見え始める。
補色と言えば正反対の色だが、紙の上で2色の絵具を混ぜ合うと灰色になる関係性でもある。ちょうど互いの個性を相殺するように。
本作の表紙には灰色の水玉模様のスカートが描かれている。
2人が混ざることで色彩(=突飛さ)を失ったのが、世の中を俯瞰して見たときの状態であり、その一見平常に見える世界を表現しているのがこの表紙の示すものではないだろうか。
むらさきのスカートの女とは、世の中に表出する異質点の象徴
見る人次第で、見られる人は決まる。
自分は普通だと思って安全地帯にいるつもりでも、他人から見ればその立場は容易く逆転しかねない。
無難な色をしている世の中で、一部の人の色が目立っていると考えがちだけれど、現実はそうでなく、みなそれぞれ別方向の変な色をしている。
混ざり合い一見目立たないが、決して無彩色の集まりではない。
そんな色相環のごとき世の本質を、黄紫の対比を例に、目の当たりにさせられた気分が残った。
- 作者: 今村夏子
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2019/06/07
- メディア: 単行本
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↓芥川賞受賞後の新作にも、普通と変の境界について考え込みたくなる世界観が盛り込まれている
- 作者: 今村夏子
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2019/02/22
- メディア: 単行本
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