ミッツケールちゃんの「みつける よのなか」blog

世の中のいろんなことを考察して深めたいミッツケールちゃんのブログ。本やテレビ、ニュースについて、あちこち寄り道しつつ綴ります。

考察★ハートネットTV「にじいろWeek」

幸せはみんな一通りじゃない、という当たり前の認識がどうして行き届かないのか。
今週は「にじいろWeek」。月曜から木曜までセクシュアルマイノリティについて考える特集でした。
内容とあわせて、ミッツ・ケールちゃんが考えたことを書きます。

4/30(月)~5/3(木)20:00~20:30 Eテレ

障害や病のある人、「生きづらさ」を抱えている人、支える家族や共感する人たち、さらには社会を変えたいと願うすべての人たちの、今を知らせる福祉情報番組。


目次

セクシュアルマイノリティについて考える4日間

 性自認に悩むトランスジェンダー性的嗜好が多数派とは異なる同性カップル、さらには性的関心のないアセクシュアルまで、さまざまなセクシュアルマイノリティの人たちの現状に迫る企画です。

ふうふの証明

 2、3日目は、同性パートナーシップ制度の現状とこれからを考える回でした。
 女性どうしや男性どうし、同性愛の人たちが、一般的な異性愛の夫婦が結婚によって得られる生活と同じようなレベルに達するにはどうすればいいか。 かつての「ゲイやレズビアンは家庭を持つことができない」という常識を塗り替える一歩として、近年、渋谷区など全国7自治体で”ふうふ”であることを認める パートナーシップ証明書を発行できるようになりました。

同性パートナーシップ制度―世界の動向・日本の自治体における導入の実際と展望―

同性パートナーシップ制度―世界の動向・日本の自治体における導入の実際と展望―

 各区や市町村独自の証明書であり国のお墨付きではないので、一方が死亡した際の相続や財産分与などを保証する法的な効力はないものの、生命保険など民間サービスでは主催企業の対応次第で受取人として認めてもらえるなど、ふうふのいざというときに役立ちます。
 一方でこの制度を導入している限られた地域に居住していないと取得できないことや、婚姻届の代わりに書面にしておくという方法をとるにも煩雑な手続きと高い費用が必要になることなど、 まだまだ課題も残っています。
 導入間際になって反対意見が出てくるなど簡単には普及しないものの、それでも、都市部から地方へ広がっていき制度が知られることで、社会の認識も変わっていくことが期待されています。

「社会に不要」という考えは危険

 番組では、LGBTの意味を知らない人がまだまだいたり、「気持ち悪い」と捉える人がいたり、はたまた同性愛を行政が認めたら少子化に拍車がかかるという意見があったり、リアルな声が紹介されていました。
 ミッツ・ケールちゃんは高校が共学でなかったせいか、同性愛の友人が近くに当たり前にいる学生時代を送りました。自分はたまたま異性が好きだけど、そうではない人がいることに特に抵抗を感じません。そもそも性的嗜好って自分の意思で選択するものではないので、制度のあるなしで同性愛の人が増えるわけでもなく、少子化には無関係でしょ。

 ただ、「気持ち悪い」と思ってしまう人がいることは仕方がないのかなという気もします。それはそれで1つの感じ方なので。でも、あえて口に出す必要はないし、攻撃して社会から追い出すようなことをしなければみんなうまくいくのになぁと。ピーマンを嫌いな人がピーマンを好きな人のことを理解できなかったとしても、人格を否定する必要はありませんよね。

 誰かが「気持ち悪い」と感じるものを追い出してしまうのなら、例えば顔が不細工だったりファッションセンスが相容れなかったりという理由で、誰も外を歩けなくなってしまいます。
 生物学的に子孫を残さない人に存在価値がないとするなら、例えば頭脳明晰じゃない人は世の技術発展に役立たず存在価値がないかもしれないし、車を運転するのが好きで排気ガスを人より排出する人は環境を悪化させ社会に損害を与えるという意味で存在価値がないかもしれません。役に立たないものが悪として追放されるなら、私たちのうちのほとんどはこの世から消滅してしまいます
 人間は完全に合理的な存在じゃないという前提で「人権」という仕組みが組まれているのが現代の社会だし、持ちつ持たれつなんですよね。ただ自分がマジョリティの立場にいると普段意識しないだけで。みんなで許しあうような雰囲気になればいいのにと、ミッツ・ケールちゃんはマイノリティ問題に向き合うたびに思います。

誰もが好きなら好きと言える段階へ

 今回の「にじいろWeek」最終日に意見交換されていた、同性愛の人が異性愛の人を好きになった場合のこと。「自分は同性愛者」というカミングアウトと「あなたが好き」という愛の告白を同時にしてしまって、ストレートの相手を混乱させてしまったという体験談は少し微笑ましいようにも思えました。同性愛に限らず恋愛って、相手が自分のことを受け入れてくれそうだから好きになるわけではないし、十分に起こりえる話です。
 関連してよく耳にするのが、ゲイ当事者が同性の友達にゲイであるとカミングアウトしたら「俺を襲うなよw」と冗談交じりに釘を刺されたという話。同性愛者だからと言って同性全員を見境なく好きになるわけではないという前提が抜けているんですよね。

 これらの問題を聞いて思ったのは、何も同性愛に限った話ではないということ。
 異性なら告白されたら全て受け入れるかと言われれば当然そんなことはありません。異性だろうが同性だろうが「告白されたけど好みじゃない」というだけのことです。
 さらに、「同性から告白されるなんて思いもしなかった」という異性愛者の話は、よくある「幼馴染としか思ってなかったアイツから告白されるなんて」という話に置き換えれば、ままある話。ある人とある人の間で互いへの認識の差が違ったというそれだけのことと言ってしまうこともできます。
 同性愛と聞いて警戒しなければいけないのなら、異性愛者の間でも、世の女性は男性が現れた瞬間警戒しなければいけない、男性は女性を警戒しなければならないことになる。

 気持ちと気持ちが一致するって同性愛でも異性愛でも奇跡なんですよね、結局。一致しなかったのなら誠意を込めて「ごめんなさい」するしかない。そんな異性愛であれば当たり前の風景が、同性愛でもタブーにならない世の中にするには、私たち1人1人の認識が関わってきます。
 セクシュアルマイノリティだからと言って迫害しない世の中が実現したら、次の課題はそこなのかな。まだまだLGBTを認知していない層もいるものの、最近はかなり認知度が広がってきている感があります。「知る」から「理解する」へ移っていく動きも広まればいいですね。

世の中、グラデーション

 最終日には、アセクシュアル(無性愛)当事者の意見紹介もありました。性的な関心がない、恋愛感情がない人からすれば、「好きな相手がいる前提」で話が進むことが「異性が好きだという前提」に匹敵するそう。マイノリティの中でも数が少ない存在ですね。ミッツ・ケールちゃんは身近に出会ったことがありません(いるのかもしれないけど)。
 以前の記事でも最後に結論として書いたけれど、みんな1人1人違う「性」を持っているんだなぁと改めて感じました。

inusarukizi.hatenablog.com

 「LGBT」という言葉も「LGB(性的嗜好)」と「T(性自認)」は本来、全然別のことですよね。「LGBT」とまとめちゃうのは多数派側の都合でしかない。この言葉が多数派の対義語として有名になるほど、LGBTでもなく多数派でもないマイノリティの中のマイノリティの人たちが無視されていきます。LGBT=性的マイノリティではないということを忘れないようにしないといけませんね。
 世の中、男・女という2色では当然表せず、男・女・LGBTの3色でもない。LGBTがオレンジ色とすれば、赤と黄色が混ざっている。
 かといって男・女・LGB・Tの4色でも足りないし、男・女・LGB・T・アセクシュアル5色もきっと違う。色が無限にそろうグラデーションというのがリアルな世の中の色分けなんでしょう。「にじいろWeek」ってたぶんそういう意味だと思うけど、大切な概念ですね。

 初日、トランスジェンダーMtFである西原さつきさんの対談の中で印象深かったのは、女の心を持ちながら男の体で生まれてきたことに違和を感じ、世間一般の女らしさを「真似する」時代を超えて、今は一時より「女らしさ」に固執しなくなったという話でした。
 性自認としての満たされなさから「女」になることをめざし、「女」というところに自分の全てがあると考えてきたけれど、「女であること」だけではない自分、アイデンティティを見つけたのでしょうね。西原さんが制作に協力したNHKドラマ「女子的生活」でも、トランスジェンダーの主人公が長かった髪を最後には短くしていました。

女子的生活 [DVD]

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 西原さんも、女子的生活の主人公も、単なるトランスジェンダーではなくグラデーションの中の1色。そんな本当の多様性を表現していたことにやっと気付くことができました。

女子的生活」の原作本はこちら↓

女子的生活

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