5人を見殺しにするか、1人を犠牲にするか――有名な思考実験のひとつ「トロッコ問題」を授業で扱う是非について議論が持ち上がっている。
公立小中学校で心理教育として行われた授業について、保護者から疑問の声が上がり、校長が謝罪したというのだ。
正解のない問題に向き合う重要性
模範解答の用意されている問題を解くことが、現在の日本では教育の主流となっている。
しかし現実世界は、答えが一つには定まらない、割り切れないことの連続である。
ある問題に対して絶対的な正解は存在せず、どちらの選択肢を選んでも何かしらの被害が出るという事態は、社会に出れば珍しくない。
どちらを選ぼうとも、選んだ人は結果的に責められる。しかし、それでも考え抜いて決断を下さなければならない。
大切なのは、どちらを選んだか、どちらが正解か、ではないのだ。
仮に自分の選択を責められたとしても、苦渋の決断ながら論理的に考え抜いた結果「こういう理由でこちらを選んだ」と説明できることが求められる。
正解のない問題を前に、論理的に思考を重ねて結論を導くという思考訓練は、教科書偏重の今だからこそ貴重な時間なのだ。
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論点は、教育の「揺るがなさ」
思考実験とはそもそも、簡単に答えの出る類のものではない。
想定の中とはいえ誰かが犠牲になったり、道徳的なジレンマに苛まれることもある。
模範解答に向かって一直線に進めば良い教科書の問題とは趣向がまったく異なるのだ。
それでも、その意義は確かにある。正解を追うだけの学習では人間として思考停止することになるからだ。
普段教育に携わっていない保護者が「子どもが傷つくのではないか」と疑問を持ったときに、毅然たる態度でその意義を説明することも、教育者の責務だと考える。
その点で、今回の騒動で着目すべきなのは「トロッコ問題は授業に適切か」ではない。
「是非について意見が割れる授業内容でも意義を説明し実施できる教育現場か」ということこそ、真の論点であるべきだ。
思考実験の本質を理解していない教育現場
厳しいことを言えば、「トロッコ問題を題材にした授業は不適切だ」という批判に対し、こういう意図で必要な教育として選んだのだと説明できなかった学校は、トロッコ問題の本質を理解していないとも言える。
――5人の作業員に突っ込むトロッコを方向転換せず「なぜ見殺しにしたのか」と非難されたときに、どういう理由でその行動に踏み切ったと説明するのか。
これを、今回の騒動に置き換えれば、
不安をそそる可能性のあるトロッコ問題を授業で実施して「なぜそんな授業をしたのか」と非難されたときに、どういう理由で授業を行ったと説明するのか――だ。
理解を求めようともせず謝罪した時点で、「トロッコ問題は適切か否か」という二者択一の問題には「不適切」という解答があり、自分たち(学校側)がそれに不正解したと言っているも同然なのではないか。
二者択一の外へ
正解のない問題にどう立ち向かうかというのが、思考実験の肝だ。
子どもにやらせる以前に、教える側の思慮と覚悟が足りていなかったと言わざるを得ない。
短絡的に「とにかく不適切」だとして譲らない人、それを認めて安易に謝罪する人にこそ、トロッコ問題をはじめとした思考実験が必要にちがいない。
確実に正しくて非難されることのない教育しか施せないとしたら、子どもたちの思考を育む役割であるはずの教育が完全に思考停止に陥っていることになる。
正解か間違いか、善か悪か、二者択一のみで育った子どもたちが将来かたち作る社会は、どんなものだろう。想像するだけでおぞましい。
少し変わったことをすれば「不適切なのでは」「不謹慎なのでは」と叩かれるようになった昨今、あながち極端な想定ではないはずだ。
目先の反対意見に屈することなく、柔軟な思考をできる子どもを長い目で育てられる健全な教育現場、育児環境が今、求められている。
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