ミッツケールちゃんの「みつける よのなか」blog

世の中のいろんなことを考察して深めたいミッツケールちゃんのブログ。本やテレビ、ニュースについて、あちこち寄り道しつつ綴ります。

「化粧はマナー」を疑問視しつつ社会の顔色をうかがう全ての女性へ

 最近にわかに物議を醸している「女性は化粧するのがマナー」問題。 この議論が持ちあがることを1人の女性として喜ばしく思う。それと同時に、気づいたのならさっさとやめてしまえばいいのにとも思う。

始めたのが女性なら、やめるのも女性

 化粧の歴史は長いが、最初に始めたのはおそらく女性たちだし、長く続く慣習をそのまま受け入れたのも1人1人の女性だ。 化粧をやめるというアクションを起こすのも当然女性であって、男性とか他の女性とか、世の許しを受ける必要はないはずだ。

 例えて言うなら、ある会社が「サービス終了します」と発表したとして、それに対してユーザーが「今まで利用してきたのに!」などといくら批判したところで、終了するのは運営側の自由だからね。

 というか、社会が許すとか許さないとか、もはや言い訳に過ぎない。 本当は自分が今までやってきたことをやめる踏ん切りがつかないから、理由にしているだけ。
 まぁ今までやってきたサービスを終了するなら、多少のマイナス評価が聞こえてくるのは仕方ない。でも、その横暴な評価には、あなたの生き方を縛る強制力はないよ。

すっぴん接客も悪くない

 ここまでこんなことを書いてきた私自身は、ほとんど化粧をしない1人の女性である。
 社外のお客さんと毎日名刺交換しまくる仕事をしていたけれど、化粧して出勤した日は一度もない。 日々出会い、言葉を交わし、お付き合いしてきた人たちがどう感じていたかは今となっては分からない。 少なくとも、社内外ともに直接批判されたことはなかった。
 陰で言われていた可能性はあるけど、それは私自身には見えない世界なので良いこととする。雑多な世の中、自分のテリトリーだけで精一杯なので。

 もちろん人間関係がうまくいかなかったことは多々あるけれど、その原因が”すっぴんだったから”なのかどうかは定かではない。
(他が全て整っている優秀な人間なら、それが原因なのだろう。しかし、こちとらその逆である)
 ただ、すっぴんだという理由で人を下に見てくる人は、こちらが化粧をしていたとしても「顔が不細工」とか「声がきもい」とか別の理由で同じような応対をしてくる可能性が高いと思っている。
 中身に直接関係のない部分を仕事上の取引に反映させてくるようなくだらない人に媚びを売るため化粧をするのだとしたら、こんなに馬鹿馬鹿しいことはない。そんな時間があるのなら、化粧より中身を見てくれる人とより良い仕事をするためのアイデアを練ることに使いたい。

思考停止した「○○は××するもの」

 「女性は化粧するもの」に限らず、「○○は××するもの」という世の暗黙の了解に何も考えずに従うことを、私は好まない。 もともと羞恥心という感覚が薄く、周りの人に合わせる協調性を持ち合わせていなかった。

 就職活動においてもみんなと同じ真っ黒なリクルートスーツを仕立てることはせず、自分なりに場に適していると思える服装で最終面接にも行った。 周りと異なる格好だったので企業の人にも就活生にも顔を覚えてもらって、こちらはよく覚えていない人に「また一緒ですね」と声をかけてもらったりして楽しかった。
 なんでその服装なのかと面接で聞かれたこともあったが、思うままに答えた。もしも黒いリクルートスーツで臨んでいて同じことを聞かれていたら、答えに詰まっていただろう。 結果、まぁまぁの会社(業界最大手)に縁があった。

 基本的に、仕事もショッピングもデートも同窓会も化粧をしない。 暇で余裕のあるとき、ごく稀に思いつきで「たまには化粧してみようかな」という気分になった日だけは、服装に合わせて化粧することもある。かなりレアだけど。
 そんな感じで、私にとって化粧は個人で楽しむレベルの”オプション”なので、仕事の日は選択しない。 おしゃれを楽しむ日ではないし、出勤前のばたばたした朝はそんな気分にならないからだ。

”自分を生きる”ために他人の許可は要らない

 こんな半生を振り返るたび思う、意外とみんな気にしていない。気にしているのではと自分が気にしているだけだ。 大胆に髪を切った翌日に「前の方がよかったのに」などと言う人がいても、直にみな慣れる。せいぜいそれと同じようなこと。

 葛藤を抱える意見を見ていると、「社会が許さない」という幻の声に怯えて、許しを乞うているようにすら見える。
・男が化粧しないのに女だけ化粧するのはおかしい? それを引き合いに何を求めているのか。 男が化粧したとしても私はしないよ。逆に男に生まれていても化粧したかったらしていたんじゃないかと思う。
・ノーメイクでは他人に不快感を与えるかも? 化粧しても「見た目が不細工で不快だからすっこんでろ」と誰かに言われたら、言われた通り一切外出せず引きこもるのか。

 ”自分を生きる”のに、他人の許可は要らない。他人の生命を脅かしているわけでもないんだから。生きていれば多少なりとも迷惑をかけるのが人間、それを許しあうのが社会。素顔をさらして生きることが、なんぼのものか。

行動に世論はついてくる

 化粧品広告のモデルでもない限り、化粧しているか否かなどという本質でない部分で人を判断する会社なら辞めてしまえばいい。どのみち他のどうでもいいことで品定めされるよ。 労働条件や業務内容に化粧という項目があるならともかく、業務とは無関係なところまで介入して個人の生き方を強制してくるのなら、サービス残業とか違法な労働条件を強要するブラック企業に等しい。
 そんな社会、こちらから願い下げである。

 疑問に思った人が疑問に思った時点でやめていけばいいんだ。 化粧していない人を避けて採用する会社があったとしても、化粧をする人の数が減っていったらそんなこと言ってられなくなる。化粧しないのがスタンダードになるよ。
 マクロで見れば世論ってそうやって変わっていくもの。狭い狭い世界の横並び精神で他人の顔色をうかがっている1人1人が、生きやすい世の中への変化にブレーキをかけていることに気付くべき。
 化粧品を肌に塗る手を動かすのは他の誰でもないあなた。その手をとめるのもあなた。

白石真澄流すっぴんお仕事術

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