ミッツケールちゃんの「みつける よのなか」blog

世の中のいろんなことを考察して深めたいミッツケールちゃんのブログ。本やテレビ、ニュースについて、あちこち寄り道しつつ綴ります。

考察★世界の哲学者に人生相談#4「働く」

小難しく考えるのが哲学というイメージだったけれど、現実の経験を大切にした哲学者が登場した今回。
いろいろ考えてもリアルに反映しなきゃ意味がない、まずは動かないと、と考えさせられました。
内容と感想、ミッツ・ケールちゃんなりの考察を書いてみます。

4/26(木)23:00~23:30 Eテレ

「我思う 故に 我 悩みあり」
現代の私たちが抱えるお悩みを、
哲学者の思想や名言を要約した「お考え」で解決する人生相談室


目次

第4回のテーマは「働くこと」

 今回のお悩みは、
転職を繰り返し、現在は小さな会社で雑務ばかり。価値があると思えず、やりがいを感じられない。自分にあった仕事をみつけるには。

 転職で仕事を変えても満足できないということは、根本的に”やりたい仕事像”が曖昧なのでしょうか。

実力が認められても肉体労働を続けた哲学者・ホッファー

 これに対して、「働くこと」を哲学で説いたホッファーが登場しました。

 哲学者である前に、1人の労働者であることを大切にしていた沖仲仕の哲学者ホッファー。波乱の半生を経て50歳を前に著書がベストセラーに。教授としてお呼びがかかっても、原点である肉体労働を生涯続けたところから、彼の人生における「働くこと」の位置づけが読み取れる気がします。

 彼の生い立ちで特筆すべき点は、7~15歳の学齢期に視力を失い、貧しさもあって初等教育を受けられなかったことです。心身ともに成長著しい時期を暗闇で過ごしたことから、理論よりも先に実行や経験がくる価値観が養われたのではないでしょうか。
 15歳で奇跡的に視力が回復してからは哲学書をむさぼるように読んだとのことですが、目が見えず苦労したり日々考えたりしたことに、後から意義付けをする思いだったのかもしれませんね。

 現場で体を動かすことを大切にしていたであろうホッファーの考えは、リアリティあふれる生きた哲学といえそうです。

「仕事が意義あるものである」という考えを捨てなければならない

 そんなホッファーの”お考え”がこれ。理想による誇張や虚飾が感じられない、実際に働き続けた男の言葉という感じですね。

 彼にとっては「働くこと」とは夢を描ける対象ではなく、あくまで生活の糧を得るための手段だったのでしょう。若くして父母を亡くし天涯孤独になり、背に腹は変えられず、とにかく仕事をこなさなければいけない。
 仕事に意義は必要ないというより、意義を考えるのは後からに近かったのではないでしょうか。

 これは現代日本においても、大切な考え方に思えます。
 就職活動でいくら企業研究したところで、実際に働いてみてからのことが100%分かるなんて不可能。社員から話を聞いても、それは自分とは価値観の違う人の所感に過ぎないし、現在の情報であって入社したころには状況が変わっていることだって十分にありえます。
 「この会社でこんなことを成し遂げるぞー!」と張り切っても肩透かしを食うかもしれません。逆に、当初は考えていなかった別のことで活躍できるかもしれないとも言えます。

 ミッツ・ケールちゃんも「こんなのバイトを雇えばいいのに」と思っていた雑務を通して気付いたことから、新しい仕事を生み出せたことがあり、今持っている「これは雑務」という自分の常識は当てにならないものだと感じたものです。
 世で大きな功績を残した人の仕事も、気付いてみれば誰でもできたのにみんなが大したことないと決めつけていたこと、というのはよくある話。何事も最初に考えて成し遂げた人は素晴らしいですが、その源は常識を打ち破る意識なのではないかと思います。

 最初から意義を決めつけないこと。意義が感じられない期間があったり、自分の考える意義じゃない方向に流れても大丈夫。頭を柔らかくして、臨機応変に目の前の現場の状況に自分を合わせていくべきだ。
 ホッファーが言いたかったのは、このような、自身の経験にも裏打ちされた「現実を第一に考えた 処世術」だったのではないでしょうか。

仕事で大切なのは「自由」「運動」「閑暇」「収入」の ”適度な調和”

 ホッファーが日記で頻繁に記していたのが4つの言葉。

・ 自由 仕事の気楽さ
・ 運動 肉体労働の心地よさ
・ 閑暇 暇な時間を過ごす楽しさ
・ 収入 現在の金銭事情

彼が仕事をする上で大切にしていた要素が分かります。

 自分が満足できる仕事がすぐに分かるとは限らないけれど、自分にとって大事な要素は何か突き詰めることは、天職への近道かもしれませんね。
 毎日仕事でもいいから合間に自由な時間がほしい、他人から必要とされている実感の上で仕事をしたい、仕事の後に達成感を味わいたい……などなど、出演者からもいろんな意見が出ていました。

やる気スイッチは複数個ほしい

 ホッファーの言葉を受けてミッツ・ケールちゃんは、「調和」というのがキモかなと感じました。

 やりがいがすごーくあっても、給料があまりにも少なかったり労働時間が長すぎたりすれば健全な日常生活さえ成り立たず、やりがいを味わえる精神すらなくなっていくかもしれません。最近巷で話題の「やりがいの搾取」ですね。

 それならば、生計を立てることが第一義だから収入面が大事、と考えてみます。でも、お金のためなら何でもできるわけじゃないですよね。
 以前傍聴した裁判で、違法だと薄々感づいていたが会社から命じられて給料のために無関係の人を騙したという刑事事件がありました。これは極端な例としても、ミッツ・ケールちゃん自身、会社の方針や常識が受け入れられず思い悩んだ日々があり、そのときの自分と被告人が重なって見えました。

 そんなこんなで仕事において重きを置く要素を一つに絞るのは困難、であると同時に歪な姿です。番組で出演者が書き込んでいた、仕事で大切にしたい要素の円グラフ。あれの大部分を一つの要素が埋めてしまう状況はもしかしたら綱渡り状態と言えるかもしれません。
 働くことはお金を介して他者とつながっているので、自分では予測できない事態が起こりえます。今まで十分だった要素が、顧客の事情や世の中の価値観変化などによって急激に失われることもあるでしょう。そんなときに他の要素がモチベーションとなれば踏みとどまって、回復する日もくるはず。
 仕事に立ち向かうモチベーションは多角面から構成すべきだ、というのがホッファーの考えの真骨頂に思えます。

「好きを仕事に」は幸せか

 10年以上前に読んだ小説「キノの旅」で今でも印象深い話があります。「仕事をしなくてもいい国」というタイトルで、機械が発達して人間は働く必要がなくなったけれど、人々は日々、「ストレスを受ける」という仕事をしている、といった内容でした。
 苦痛の代償として給与が得られるという、現実にも共通しそうな価値観をうまく表現していて舌を巻いたものです。

 最近では、「好きなことを仕事にしていると、仕事をいやいやしている人に、妙なマウンティングを取られることがある」という意見をネットで見ました。
 ピアノがとても上手な知人は、音楽とは無関係な会社員をしています。「ピアノが好きでたまらないけれど、仕事になってしまうとそうでなくなるかもしれない」という話を聞きました。
 小説家・森見登美彦氏の著書の中で、子どものころから好きだった竹を研究しようと大学院に進んだが、竹の中で佇むのが好きなのであって、竹の成分を抽出して分析したいわけではなかったと気付いたという一節がありました。

美女と竹林 (光文社文庫)

美女と竹林 (光文社文庫)

 好きな仕事であっても大変なこともあるし、不満からスタートした仕事で意義が見つかることもある。どの選択肢が正解かは、結果論であり、しかも長い時間を要さないと判然としません。ただ、好き⇒仕事よりも、仕事⇒好きのベクトルが根ざした人生の方が幸せなのではないかと思えてきました。
 ミッツ・ケールちゃん自身、こだわりが強く、それでいて興味が次々と移り変わる性格で、人生における全てのことを中途半端で投げ出してきた感があります。長年の肉体労働を着実にこなした上で偉業を成し遂げたホッファーから習うところは多いように感じています。



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