ミッツケールちゃんの「みつける よのなか」blog

世の中のいろんなことを考察して深めたいミッツケールちゃんのブログ。本やテレビ、ニュースについて、あちこち寄り道しつつ綴ります。

考察★ららら♪クラシック「ショパンの英雄ポロネーズ」

誰もが知る傑作「英雄ポロネーズ」には、国を越えて時代を超えて通じる力強さを感じますね。
二度とその地を踏むことのなかった祖国への思いに浸りながらも、持てる力を詰め込んで芸術に昇華させたところに、ショパンの誇り高さが見えるよう。
名曲をさらに好きにさせてくれた番組の内容と感想・考察を書いてみます。

4/27(金)21:30~22:00 Eテレ

敷居が高いと思われがちなクラシック。初心者でも楽しめるよう、
楽曲の生まれた街や歴史背景、ドラマ、技巧をわかりやすくガイドする番組。


目次

ピアノの詩人・ショパンが故郷を描いた英雄ポロネーズ

 「英雄ポロネーズ」といえばショパンの代表曲で、ふとしたときに耳にしたりします。今回はそんな有名なメロディが生まれたストーリーの紹介でした。
英雄ポロネーズこちらで視聴できます)

ポロネーズ」とは、ポーランドの踊り

 そもそも曲名「ポロネーズ」とは、ショパンが生まれたポーランドで、誰もが踊れる伝統舞曲のことだそうです。歩くだけのような素朴な踊りながら、豊かな農地を持つポーランドの生活に根付いた、まさに国の文化の象徴ショパンにとっては故郷を思って作った特別な音楽だったんですね。
 ミッツ・ケールちゃんは恥ずかしながら人の名前だと思っていました。英雄ってつくし、ナポレオンみたいな感じかなと……。

 さらに驚いたのは、ショパンポーランドに思いを馳せたこの曲、作られたのはポーランドではなくフランスのパリ。その背景には、祖国の苦難の時代がありました。
 ショパンが20歳のころ、ポーランドをロシアが制圧。母国を離れることを余儀なくされます。その後、彼は21歳から39歳で亡くなるまでパリで暮らし、帰郷は生涯叶いませんでした。帰りたくても帰れない愛する故郷に恋い焦がれながら生み出した曲だったのです。

 故郷やそれを象徴するポロネーズは、その境遇から、作曲のモチーフとして計り知れないパワーを持っていたんでしょうね。特に、音というのは月日が過ぎても記憶に残りやすい。少年時代に家族や友人ら大切な人と踊ったであろう音やリズムが、この傑作の下地になったといえます。

愛国心を芸術に昇華させた「誇り高さ」

 さらに特筆すべきは、「英雄ポロネーズ」は、単に「踊り・ポロネーズ」のメロディを引用したものではないということ。あくまで「踊り・ポロネーズ」はインスパイアされた作曲の素材であり、彼独自の曲に仕上げたのでした。
 これが、一国の伝統舞曲の模倣であったなら、内輪で盛り上がって終わりだったかもしれません。独りよがりな愛国心ありきではなく、花の都パリでも通用する芸術性を兼ね備えた音楽として完成させたことで、誰もが楽しめて時代が変わっても愛される名曲となりました。

 ミッツ・ケールちゃんは、番組に出演したポーランドの人たちが口々に言葉にしていた「誇り高さ」というのが最初、ピンときませんでした。母国を離れたことがないミッツ・ケールちゃんには想像もできない思いなのかもしれません。
 ただ、内に秘めた愛国心をそのまま取り込むだけでなく、彼の持つ最大の力で芸術として昇華させたエピソードを知ったとき、これが「誇り高さ」だと確信めいた思いに至りました。

海を越え時空を超える英雄

 曲名にも秘密が。当初は「英雄」とはついていなかったといいます。ショパン自身が名付けたわけではなく、いつごろからか、だれともなく、「英雄ポロネーズ」と呼ぶようになりました。

 ショパンはこの曲を、自身と同じ境遇であるポーランドからの亡命者の前で演奏し、故郷を追われた悲しみを共に癒したそうです。
 平和な現代日本でさえ、同郷の人と出会うとローカル話で盛り上がり親近感が湧くものです。いわんや激動の時代。「今は列強諸国に制圧されているけれど、かけがえのない祖国だ」という思いを共有し鼓舞しあえるシンボルともいうべき「英雄ポロネーズ」という曲は、悲嘆にくれる同胞の中でまさに「英雄」だったのかもしれません。

 そして、その「英雄」は時を超えます。
 番組では、ベルリンの壁崩壊を機として共産主義国から資本主義国に変わり、苦難の真っただ中のポーランドで青春を過ごした、日本在住のポーランド人ピアニストが「ショパンに救われた」と話していました。
 国を揺るがすほどの事態が生じ、それまでの常識や価値観が変わってしまうこと。いつの時代でもどこの国でも起こりえます。そんな混乱の渦中に立たされた人への応援歌として、「英雄ポロネーズ」は輝き続けてきたのでしょう。

 ここまで見てきて、ゲストの宮川彬良さんが言っていた「巨大な力に巻き込まれない」という表現がとてもしっくりきました。
 ショパンが理想に描いたのはきっと、国の危機という自分の力では如何ともしがたい時代のうねりに翻弄されながらも、しっかりとした自己を持つこと。自分の境遇をスタートに、普遍的な精神世界を表現しているように思えてきました。

国の歴史を辿るタイムトラベルのような構成

 「英雄ポロネーズ」を音楽的に分解して見ていくと、色々な分析ができると宮川彬良さんは言います。
 何度も転調を繰り返すのが特徴の曲ですが、雰囲気が変わったように見えて主音は保たれているとのこと。説明を受けた上で実演を聴くと、転調の合間に同じ音が入ることで、場面と場面をつないでいることが分かりました。
 さながら国の歴史を辿るタイムトラベルのよう。列強に囲まれた地理的背景から、たびたび分割の憂き目に遭ってきたポーランドという国。その暗い時代・明るい時代を、曲を通して駆け巡りながらも常に一本筋は通っている、という感じですね。
 「困難に思えても、栄光は訪れる」というショパンの確固たる意志が見えてくるようでした。

 今回、演奏は盲目のピアニストとして知られる辻井伸行さんでした。幼少時から得意としている曲の1つだそうですが、まさにショパンの描いた理想を努力で掴み取っている英雄の1人だと思いました。
(下ページで視聴できます↓ )

英雄ポロネーズ

英雄ポロネーズ

亡霊化した踊り

 ミッツ・ケールちゃんが最初想像した、どこぞの”英雄のポロネーズさん”を称える曲と比べて、ずっと意義がある曲でした。
 平和も、母国も、近くにあるときはそのかけがえのなさを実感しづらいものです。活躍の場を求めてウィーンなど音楽の都を目指した音楽家たちの中で、思いを残したまま出国を余儀なくされたショパンだったからこそ、書けた曲だったように思えます。
 当たり前にすぐそばにあった、豊かな農地広がる祖国での生活から生まれた踊り・ポロネーズは、彼が成年した途端にその手から弾け飛びました。はちきれんばかりのクレッシェンドに身を任せてみると、素朴な現実の踊りが彼の中で亡霊化したかのように聞こえる気がします。

ポロネーズ第6番《英雄》

ポロネーズ第6番《英雄》

 個人的には、フジ子・ヘミングさんの演奏も好き。上ページで視聴できるので聞き比べてみては。


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