日本の街には、ゴミ箱が少ない。
その辺にゴミ箱があるアメリカではすぐに捨てて存在を忘れてしまうようなゴミも、ゴミ箱のない日本では持ち帰ることになる。
そんな違和感が、Eテレ2355内のコーナー「毎日が障害物競走」で紹介されていた。
日本で暮らすアメリカ人、エリザベス・コールさんが日々感じる疑問や気付いたことを、彼女なりの視点と感性で述べるコーナーだ。
ゴミの入った袋を捨てられずいつまでも腕に引っ掛けている様をゴミブレスレットと表現しているのには唸らされた。
写真家であるエリザベスさんは、ミュージシャン小沢健二さんの妻。義母との共著でエッセイ集も出版しているらしい。
外国人ならではの観点で、かつ日本人にも伝わるユーモアも交えた「毎日が障害物競走」は、見ていてクスッとしたりハッとさせられたりと短いながら見応えがある。
先週から始まって1週間だけのコーナーかと思いきや、今週も見られるようだ。
テロ対策で激減したゴミ箱
確かに、日本の街を歩いていてゴミ箱はあまり見かけない。
「自分のゴミは持ち帰りましょう」という標語はよく耳にするし、「立つ鳥跡を濁さず」なんて言葉もあるぐらいだ。
コンビニ店頭のゴミ箱も、購入した食料品のゴミのために設置されたものであり、「家庭ゴミの持ち込みはご遠慮ください」と貼られていることが多い。
以前は公園や駅で見られたゴミ箱も、ここ何十年かで激減した。
きっかけはやはり、エリザベスさんも触れていた1995年の地下鉄サリン事件だろう。
ゴミとして手から離れた途端、その物に対する意識がなくなるということは「毎日が障害物競走」でも指摘されていた。
誰のものでもない、誰も目を向けないゴミ箱は、犯罪者目線で見れば爆発物や毒物などを隠す格好の場所だ。
テロ対策としてゴミ箱が撤去されるのも致し方ないと思える。
破る人がルールを増やす
テロ対策としてゴミ箱がなくなった日本について考えていて頭をよぎったのは、アメリカのコインロッカー事情である。
(アメリカ以外の国にも共通するかもしれないが、ここでは一例としてアメリカを挙げる)
以前にアメリカを訪れた際に気づいたことだが、日本ではあちこちで見られるコインロッカーが向こうではほとんど見られないのだ。
現地の友人は、治安が悪いとコインロッカーを破壊して中のものを盗んでいく事件が頻発するからではないかと言っていた。
車社会でそもそも必要がないなど他の理由もあるだろうが、盗難防止というのは大きな理由の一つだろう。
危険物を仕込まれた前例から、テロ対策としてゴミ箱を撤去する日本。
破壊して盗難された前例から、犯罪防止のためにコインロッカーを撤去するアメリカ。
両国の風景からは、破る人がいるからルールは増えるの実例が見えてくるようだ。
その土地の過去が、街を形づくる。その人の経験が、人格を形成する。
前例が何事かを為すというのは世の常。私たちの身の回りには過去が潜んでいる。