- 作者:高瀬 隼子
- 発売日: 2020/02/05
- メディア: 単行本
社会的に正しい愛って、確かに存在する。
これは、そのような世の中に胸を張れる愛を掴めなかった彼女たちの話だ。
「犬のかたちをしているもの」が何なのか、「子どものかたちをしているもの」が何なのか。
社会から求められるものと、自分たちの現実との対比。
現代の”当たり前”のはじに追いやられた人たちの葛藤が鋭敏に迫ってくる。
本当は、愛に決まりなんてないはずだ。
たとえ世界中の人から後ろ指をさされようと、当人たちが納得していてそれを愛と思うならば、それは正真正銘の愛。
でも、人間が寄り集まって文化や思想を作る以上、社会には「正しい愛」や「あるべき交際」のかたちがある。
愛のさきに性があって、性のさきに子どもがあって……。
一本道の終着点にそびえたつものこそが、「子どものかたちをした圧力」なのだろう。
その圧力の前では、犬を慈しむような純愛は認められない。
さらに皮肉なことに、「子どものかたち」をしておきながらその中身には、子どもというまだ見ぬ命そのものは含まれない。
生まれてくる子どもをどう育てるか、どう幸せにするかはそっちのけ。
両親や親戚、そして当人たち今この世に存在している人間の身勝手な都合なのだ。
ここでも、飼い犬を愛する清純との差異は甚だしい。
予定外に妊娠した子どもを主人公に譲ろうと持ち掛ける女性・ミナシロさんの描かれ方も興味深い。
普通なら完全な悪役であるはずの彼女は身勝手だけれど嫌らしさが滲み出ることはなく、どこか無色透明に感じられるのだ。
そう、ミナシロさんだって、スマートに振る舞うことが良しとされる社会にやられ、ドライな振りをしているだけだ。
世の中に抗ってみたところで惨めなだけ。
それも主人公はとっくに気付いている。
立場は真逆ながら、割に合わない人生への諦めとか抵抗とか、彼女たちは本質的に同類に見える。
そこに待ち受ける結末。
それはきっと、世のかたちだ。
- 作者:高瀬 隼子
- 発売日: 2020/02/05
- メディア: 単行本
作品紹介
付き合い始めの郁也に、そのうちセックスしなくなると宣言した薫。もともと好きではなかったその行為は、卵巣の病気を患ってからますます嫌になっている。そんな薫に郁也は「好きだから大丈夫」といい、セックスをしない関係でいる。ある日、郁也に呼び出されてコーヒーショップに赴くと、彼の隣にはミナシロと名乗る見知らぬ女性が座っていた。郁也の大学の同級生で、彼がお金を払ってセックスした相手だという。ミナシロは妊娠していて、子どもをもらってくれないかと彼女から提案されるのだが…。
(「BOOK」データベースより)
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