ミッツケールちゃんの「みつける よのなか」blog

世の中のいろんなことを考察して深めたいミッツケールちゃんのブログ。本やテレビ、ニュースについて、あちこち寄り道しつつ綴ります。

考察★サイエンスZERO「基礎科学のミライ」

クラウドファンディングで研究者と一般人の距離が縮まるのは歓迎すべきことだけど、近づいたばかりに、媚を売るような研究現場にならなければいいな。 分かりやすさや即効性のないところにこそ、未来の発展のカギが隠れているかもしれません。
科学研究を支える資金集めについて、考えたことを書きます。

5/13(日)23:30~24:00 Eテレ

見えないところで多くの科学技術に支えられている私たちの生活。
最先端で何が起きているのか、私たちがどんな世界にいるのか、真の姿に迫る番組です。


目次

クラウドファンディングで研究資金集め

 今回のサイエンスZEROは、研究の内容ではなく、研究を進める上で必要な費用について。 直接サイエンスな内容ではないけれど、これからのサイエンスを考える上で大事なところですね。
 ネット上のクラウドファンディングで一般のサポーターから研究資金を集める方法が広がっているようです。

先立つものがなければ探究もできない

 日本の研究者を取り巻く環境は厳しい。

 科研費が伸び悩んでいて論文数も近年は横ばいだそう。日本発で斬新な研究が出てこなくなったとも聞きます。 すぐにでも研究を始められる状態なのに、科研費が通らないなど資金が確保できないばかりにスタートできないという状況も珍しいことではないらしい。

 そもそもアカデミックな研究の道へ進もうとすると、狭き門である学振に採択されたとしても、月20万円ほどの給料でやっていかなければなりません。 ドクターコースでも学費は嵩むのに、学振をとっている時点で副業禁止だし。親からの援助がないとなかなか厳しいものがありますね。
 ミッツ・ケールちゃんの周りでも、大学に残りたかったけれど経済的事情から修士卒で就職せざるを得ない友人がいました。 日本の未来を切り開く道なのに、研究をしたいという本人の熱意をいいことに搾取しているようにすら思える現状。

研究者とパトロンをつなぐ

 公的な研究費が難しいならと、インターネットを介して一般の人からの寄付を募るクラウドファンディングが注目されています。 研究の内容や現状を紹介する映像をサイト上で流し、共感した人が1000円から研究に投資することができるのです。
 寄付した”サポーター”は、寄付金額に応じて、報告メールや絵手紙、現場のツアーなど、お礼を受けることもできます。論文掲載時、謝辞に寄付者の氏名が載ることもあるそう。Natureのようなインパクトファクターの高い雑誌に名前が載るかもしれないだなんて、夢があります。

科学嫌いが日本を滅ぼす―「ネイチャー」「サイエンス」に何を学ぶか (新潮選書)

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 中世の音楽家パトロンをつけて活動にいそしんでいたのと同じ構造を、手軽に導入できるようになったというのは喜ばしいことですね。 今まで分断されていた研究現場への理解も広まりそう。
 ミッツ・ケールちゃんの母校でも、各研究室はそれぞれで独立していて、学内でも研究棟が違えばもう何をやっているかもわからない。 ましてや外部からは何も見えず、ご近所の一般の人たちに閉鎖的なイメージを植えつけていました。 中にいる自分たちもまぁそれでいいかと割り切っていましたし。

 一般の人が研究について知り、直接分かりやすい形で応援できるようになれば、研究者と一般人との距離がぐっと近くなりそうですね。
 番組の他コーナーでは、国内の巨大ナメクジ分布図を作るために視聴者へ協力を呼びかけていました。ネットで画像を上げるだけで研究に参加できるなんて、現代ならではのサポートですね。
 クラウドファンディング研究のファンになってもらうつながりを作っていくと番組でも紹介されていましたが、普段科学とは関係のないところで暮らす一般人にとっても科学がより身近なものになりそうです。

役者と裏方の格差問題

 一方で、研究内容が一般人にとって分かりやすいかどうか格差が生まれるのではないかという危惧を感じます。
 ふるさと納税でも似たような問題が起こっていますよね。返礼品が豪華だったり、五輪出場などの話題性があったり、目立つ自治体へ寄付が集中してしまう。

 科学や研究に無関係な人からすれば、どうしてもその研究が自分たちの生活に直接役立つかどうかで評価してしまうことになると思います。医療工業すぐ実用化するレベルの短期的な研究にばかり寄付が集まることになりそう。応用分野は即戦力だけど、長期的に見れば基礎研究があってこそ。
 花形ばかりが照らし出され、”縁の下の力持ち”な人たちが締め出される事態に陥らなければいいけれど。

 そもそも「役立つ」というのは現在の発展レベルでの判断であって、10年後、100年後に役立つものは今の価値観で「どうでもいい」と思われるようなことかもしれません。
 「役立つだけが学問じゃない」という話は以前、大学と学問にまつわる談義を扱った回の結論部分でも書きました。

inusarukizi.hatenablog.com

 メディアの科学ニュースでさえ「現状のこういう場面で役立つ」と価値づけできるものばかりになりがちなのに、私たち素人がクラウドファンディングサイトを物色しサムネイルとタイトルでアクセスするのでは、素人目に見て「役立ちそう」な研究分野に偏ることは容易に想像がつきます。
 何事も「基礎をおろそかにするな」とはよく言うけれど、基礎の大切さを本当に理解するのはある程度実情を知ってからですよね。ビギナーは派手なパフォーマンスに目がいくもの。

 研究者サイドで考えてみても、理解を求めようと世に働きかける姿勢はもちろん大事だけど、本質ではない理解を得やすい部分にばかり力を注いでしまったり、世の中全体としてパトロンがつきやすい研究分野ばかりに傾いたりしたとしたら。
 世の研究が本来進むべき姿からはずれた歪なものになるかもしれません。役者にばかり投げ銭が入って、照明や道具製作の人にお金が入らなければ、演劇そのものが成り立たなくなってしまいかねません。
 営利目的の企業の研究部門ならともかく、大学の研究現場までもが純粋さを失ってしまったら、アカデミックのアカデミックたる所以がなくなってしまうと思うのです。



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