極限状態で生きる深海魚はなぜここまでして、過酷な場所をすみかに選んだのか。
極端な生き方をする生物には興味を惹かれますね。
新しく見つかった世界最深部で暮らす魚の番組を見て考えたことを書きます。
5/6(日)23:30~24:00 Eテレ
見えないところで多くの科学技術に支えられている私たちの生活。
最先端で何が起きているのか、私たちがどんな世界にいるのか、真の姿に迫る番組です。
目次
世界最深で生きる秘密
地球上で最も深い海、マリアナ海溝で、新種の深海魚「P.スワイヤーアイ」が発見されたそうです。
見つかった地点の水深は約8200m近く。人間がダイビングで潜るのが3、40mほど、太陽光が届くのが200mほど、巷で話題のダイオウイカが600mほどと考えると途方もない深さですね。ちなみにマリアナ海溝の中でも最も深い部分は約1万1000mと言われているので、今回の深海魚発見場所はその少し手前ぐらい。
深海は、光が届かないためにエネルギーがほぼ得られないだけでなく、水温が低いことや、とてつもない水圧がかかることから、生物にとって過酷な環境ですよね。今回の発見地点は、指先に800kgもの水圧がかかるほど。こんな場所を選び、生き延びる魚たちはどんな戦略を体に備えているのでしょうか?
ぷよぷよした体
今回見つかった新種の深海魚は、P.スワイヤーアイと名付けられました。白い透き通った体に小さな黒い目玉の、まるでウーパールーパーのような出で立ち。深海魚と聞いて勝手にアンコウのようないかつい魚を想像していたので驚きました。
体はぷよぷよとしていて鱗ではなく透明なゼラチン質で包まれているそう。
ウーパールーパーなど両生類は陸上で体が乾かないよう粘液をまとった皮膚を備えていますよね。水陸の環境の違いに対応するための両生類と比べていいのかわからないけれど、海中で深いところと浅いところを行き来するなら体外から加わる水圧が変わるだろうから、その関係で柔軟な構造の方が都合がいいのかな。
屈強な歯
CTスキャンの結果、口の中には細かい歯が何重にもびっしり生えていて、のど部分にも顎があると分かりました。
発見された際にはエビを食べていたようですが、エサとなるエビも深海生物で水圧に対応するための丈夫な骨格を持っているはず。甲殻類の堅い殻を粉砕して捕食し、深海の食物連鎖でトップに立つために、屈強な口腔システムは必要不可欠な装備なのでしょう。
このあたりはアンコウに似ている気がします。
浸透圧を調節
さらに、通常の生物が深海で過ごす上で壁となるのが、強い水圧がかかる中で、体を構成する物質の流動性を保つこと。
生きていく上で重要な代謝システムを支えるタンパク質などの動きを、外部からの水の分子が止めてしまうと生きていけません。TMAOという物質がかわりに水分子を引き付けることで、体内のシステムが正常に働くように調節しているそうです。
高低差7000mを移動する不思議
深海で生き抜くための様々な特徴を備えているとわかったけれど、今回の一番の驚きポイントはこの先にありました。
頭部にある「耳石」の断面を観察したところ、木の年輪のように1年で1本増えていく情報が読み取れたそうです。
(季節の移り変わりでできる年輪と似たような仕組みが、光の届かない深海でも見られるところも不思議)
わずかに重さの違う酸素同位体の比率を調べることで、その年輪が刻まれたときを過ごした海水温と水深が割り出せました。
成長してからは水深6~8000mで暮らしていたのに対し、稚魚の頃は1000mよりも浅い、光の届くエリアで過ごしていたことが判明。
温度が上がると産卵しやすくなることや観察の証言から、超深海で暮らす親魚が産卵時は浅いエリアへ上がってきているのではないかとのことでした。
深海になぜ戻るのか
普段のテリトリーよりも7000mも上がっていって産卵するなんて。卵や稚魚のうちは体が未熟で水圧に耐えられないから?と思いましたが、それなら一生をそこで過ごせばいいのに、育ったら深海へ移動するということですよね。
移動してまで深海で暮らすメリットが何かあって、それが深海魚たる所以なのでしょう。エサが豊富・敵が少ないレベルのメリットで為せる進化じゃない気がします。
ここまで不思議な生態を見てきて、鮭の俎上を思い出しました。鮭が生まれた川へ帰っていけるのは匂いを覚えているからとか方角が分かるとか諸説あるみたいですが、この深海魚がそもそも浅いエリアで生まれているならば、生まれた地へ戻る鮭よりも難しそう。
細い海溝を再び降りていけるのは遺伝子レベルで刻まれた情報があるのかもしれませんね。
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極限と比較して知る自分たちの立ち位置
普通の生物は好まない極端な環境を選んで生きる生物に我々が興味を惹かれるのは、生物とは何かを定義する材料として有意義だからだとミッツ・ケールちゃんは考えます。深海魚が見つからなければ、「魚とは光の届く範囲で生きるもの」と捉えてしまうことになりかねない。
平均的なものばかりを見ていると、全体像が見えなくなってくるもの。観測から漏れているゾーンに存在するものがいないかどうかを常に気にかけることは、この世界を正しく理解するために必要不可欠なのだと思います。極地と極地が決まって、平地が定まるのですから。
いつの世も宇宙人とか幽霊とか未知の存在が話題に上るのは、大きい視野で見れば自分たち人間を客観視するための前段階として、自分たちが存在する世界を理解するための前提を固めたいからなのではないでしょうか。
人間も言うまでもなく生物の一種。私たちとは全然関係がないように見える深海を生活の場とする魚から学べること・習えることはないとは言い切れません。深海魚たちがベールを脱いだ時何が見えるのか、楽しみにしています。