ミッツケールちゃんの「みつける よのなか」blog

世の中のいろんなことを考察して深めたいミッツケールちゃんのブログ。本やテレビ、ニュースについて、あちこち寄り道しつつ綴ります。

考察★ららら♪クラシック「リストの交響詩レ・プレリュード」

リストといえば愛の夢、ラ・カンパネラ、といった緻密なメロディラインのピアノのイメージ。
そんな彼に、曲を組み立てる以外にも、音楽の地位が低かった時代の人々に「聴いてみようかな」と思わせるべく音楽全体のパッケージを組み立てるプロデューサーの一面があったとは。
今までの”リスト観”を塗り替える番組をEテレで見たので、内容と感想・考察を書いてみます。

4/20(金)21:30~22:00 Eテレ

敷居が高いと思われがちなクラシック。初心者でも楽しめるよう、 楽曲の生まれた街や歴史背景、ドラマ、技巧をわかりやすくガイドする番組。


目次

ピアノの魔術師が生み出した、新しいオーケストラの形

 超絶技巧のピアノで知られるフランツ・リスト。 当時、ピアニストとしてスーパースター的存在だった彼が、現状に満足せず高みを目指し続けた先に生み出した「交響詩」が今回のテーマです。 音楽史に残る大発明ともいわれる名曲「レ・プレリュード」の秘密に迫ります。

人気ピアニスト⇒敏腕プロデューサー

 ピアニストとして大人気だったリスト、モスクワからリスボンまで、ヨーロッパ各地で3日とあけず演奏会を開いていたそうです。今でいうライブツアー。交通網も発達していなかった時代に、これだけのことを成し遂げたとは、生半可じゃない情熱があったことでしょう。

 その一方、「聴衆の喝采が一体何になるのか」と、人知れず進むべき道に迷いがあったといいます。その高い音楽性から「演奏家よりも作曲家として生きるべき」と助言を受け、宮廷につかえる音楽家として新たな生活を始めます。
 作曲だけでなく、他人の作品の指揮まで請け負い、客観的に音楽に向き合う中で、ピアニストとは別の才能が生まれました。音楽を様々な場所へ届けていくプロデュース力です。

 大都市で流行していたオペラや交響曲。CDやレコードがない時代で、地方では音楽に触れるのは簡単ではありませんでした。せめてメロディだけでも知ってもらおうと始めたのは、オーケストラやオペラをピアノ曲に編曲すること。
 書き直した曲を手に、一台のピアノと共に各地をまわって演奏会を開催。オーケストラをピアノで表現できればピアニストの自分一人で広められる。新しい企画を考え、実行まで自分の力でプロデュースしたのです。

 リスト編曲のピアノで、シューベルトやベートーベンもますます広まりました。ピアニストとして既に天才的だったリストが、自分の曲を弾くだけで才能を浪費していいのか、音楽そのものへ貢献したい、と考えるに至ったとは。そこには、音楽は聞いてもらってこそのものだという謙虚な気持ちがあったように感じました。純粋な芸術家より、聴き手に近い感性だったのでしょうか。

ストーリー×とっつきやすさ×話題性

 そんなプロデューサー・リストの最大の発明品が、「交響詩」です。

 この時代、あらゆる芸術の中で価値が高いとされていたのは、詩など文学的なもの。比べて、音楽は慰みに過ぎない価値の低いものという認識でした。 さらに、貴族のものだった音楽が一般市民へと普及したものの、4楽章からなる演奏時間の長い交響曲は、聴衆がついてこられない現状も。
 音楽の作り手と聴き手との断絶にも関わらず、多くの作曲家がベートーベンが極めた交響曲をより進化させようと競っていました。

 そんな状況でリストが目を付けたのは、楽章にタイトルをつけて音楽でストーリーを表現すること。詩と交響曲を融合させた新たな形態、名付けて「交響詩」です。音だけだと抽象的で、何を表現しているかわからないから、解説文をつけてしまおうというアイデアでした。
 さらに、1楽章にまとめることで、市民にもとっつきやすく濃密な音楽を目指しました。他にも、話題を引こうと、有名な詩人からインスピレーションを受けたと嘘のエピソードを抱き合わせます。

手八丁口八丁、世に迎合しているようで、足元はずっしり

 こんな話を聞くと、とにかく流行らせようと必死な感じがします。でも市民に媚びているようで、強い自信があったようにも思えます。聴いてさえもらえれば、必ず良さが分かってもらえる。「音楽こそ最高峰の芸術」だという確信があったからこそ、ここまでできたのではないでしょうか。
 むしろ自分の信じる芸術に、誰でもすんなり入ってこられるような橋を架けたと見れば、誰よりも自分のテリトリーを大切にしていたと考えられるかもしれませんね。

 実際、文学にも劣らない内容を表現する音楽という、新しい概念が世に広がり、後の世代を刺激して次々と名曲が生まれていくきっかけになりました。

生きることは、死への前奏曲

 さて、彼の交響詩「レ・プレリュード」はどんな物語なのでしょうか。プレリュードとは、前奏曲を意味します。標題は、「私たちの人生は死へ向かっての前奏曲である」ということ。
 前奏曲というのは演奏会でのポジションなのかと思いきや、曲のストーリー自体が「前奏曲に象徴される人生」だったんですね。ダブルミーニングなんでしょうか、なかなかしゃれています。

大意は、
 無垢なによって遮られ
 傷ついた魂は静かな田園で安らぎを求める
 しかし、人は再び自らのために戦いへ立ち上がる
というように、波乱万丈な人の一生を巧みに描いているそうです。

 [愛、嵐、田園、戦い] の一生を旅するのは、主人公である音型【1つ下がって4つ上がる】君。曲中に張り巡らされたこのメロディが、憂いを持ちながら死へ向かっていく過程を表現しています。

 弦楽器で静かに登場した主人公、死を暗示させながら人生の扉が開きます。人生に対する疑念から愛を感じるようになり、テンポが変わって嵐の場面になったり、田園で癒されたり。 葛藤はやがて人生の戦いになり、トランペットやホルンで勇ましく奏でます。 最後はフルオーケストラで凱旋のメロディ。しっかりと自己を確立した満足のいく人生を遂げたようです。

単なる”音の連なり”を脱した先には

 ストーリーを踏まえて聴いてみると、情景が浮かぶようです。無声映画のようで、挿絵を入れたくなってきました。
 と考えると、リストが作り上げた交響詩から、「魔法使いの弟子」「はげ山の一夜」が生まれたのは自然な流れだったような気がしてきます。

 音楽が純粋な音の響きを味わうもので終わっていたなら、ごく一部のハイセンスな人のみが楽しむ高尚な世界で終わっていたかもしれません。彼がその常識を超える提案を世に投げかけたからこそ、映像美とのドッキングなんていう幻だったかもしれない芸術世界が開け、結果として多くの人がリストの理想郷に足を踏み入れることになったんですね。

リスト自身が体現した、レ・プレリュード

 生きている間にはどんなメロディなのかテンポなのか知ることもできない死後の歌。そこへ向かって生きる人生そのものが前奏曲なのだとすれば、私たちの人生は、死んではじめて存在意義が判明するということでしょうか。

 リスト自身、ピアニストとしてプロデューサーとして奔走した結果、こんなにも音楽史で重要な存在になるとは、生前は思っていなかったことでしょう。まさに、自分の書いたストーリー「前奏曲」を自分の人生で体現したように思えました。
 自身の信じる最高峰の芸術・音楽に生涯打ち込み続けて編み出された「レ・プレリュード」。終盤の凱旋のメロディと、その先のクラシックの未来を確信したライフワークだったのかもしれません。